読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

芸術見聞録

展覧会の予習、感想など。他に時事問題のブログもやってます。http://hayanosuke.hatenablog.com/

シャセリオー展の感想 その2

f:id:Hayanosuke:20170426115319j:plain

ル・コルヴィジェのデザインした、世界遺産の建物での展覧会は限りなく上質である・・・コマーシャルみたいになってしまったが、本当にそうなのだ。

かつては海外に旅行した日本人があちこちで写真を撮って、ヨーロッパ人に揶揄されたものだが、今では東京に来てロダンの彫刻を撮りまくっている。あいつら、ちゃんとシャセリオー展を観たのか?

手元にこの展覧会の作品リストがあるが、よくこれだけの絵を世界中から借りてきたものだ。ルーブルオルセー美術館はもちろん、個人のコレクション、ギュスターヴ・モロー美術館、カルナヴァレ美術館、モントリオール美術館、メトロポリタン美術館などなど。この執念には脱帽であると共に、すばらしい展覧会を開いていただき、感謝をしたい。

 

芸術新潮 2017年 05 月号

芸術新潮 2017年 05 月号

 

 長年シャセリオーはアングルとドラクロワの折衷のように看做されてきたが、この展覧会に行くとそれは単なる無理解にすぎないことにすぐ気づくだろう。

シャセリオーの描く女性は他のどの画家とも違う。この展覧会の目玉である「カバリュス嬢の肖像」を観ると、「こんな高貴な女性がこの世にいるのか?」と思わずツッコんでしまうくらいの高嶺過ぎる花である。

清純なのに色気があり、理知的でありながら野性的、しとやかに見えて激情に近い情熱を内に秘めている・・・という相反するものが調和しているのがシャセリオーの描く女性なのである。

展覧会にはシャセリオーの影響を受けたギュスターヴ・モローの絵もあり、シャセリオーがロマン派から象徴派への流れを作った画家であるというのが良く分かる。人間の内面を詩的なものに高めるという象徴派の要素をシャセリオーの絵画はすでに内包している。さらにモローから世紀末絵画(おそらくクリムト)へ繋がっていったとすれば、西洋絵画史的にもシャセリオーは無くてはならない存在なのだ。

ドラクロワやシャセリオーの版画を見てきて、つくづく感嘆するのは文学やオリエンタリスムをきっかけにして、現実世界に立脚しながら、憧憬や恐怖、歓喜に憂愁といった様々の感情をきめこまやかに味わいつくした彼らが、その思想や感情を類まれなるデッサン力と色彩感覚を駆使して、時には悪夢とも思える想像豊かな夢の世界を紡ぎあげていった点にある。

ドラクロワとシャセリオーの版画」橋 秀文編著 p.75より引用。

こういうブログも書いてます。(ブックレビュー)

読んで火に入る本の虫