芸術見聞録

展覧会の予習、感想など。

シャセリオー展 予習 5

シャセリオーは1846年にアルジェリアに旅行した。その時の経験をもとに描かれたのが、「ガゼルと遊ぶムーア人の娘」である。

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彼のオリエンタリスムの魅力は、(中略)文学や異国趣味といったものを自由に掛け合わせて、それらを起爆剤としてさらなる想像力の飛翔を求め、実際に 色彩豊かで豊穣なるイメージを獲得したことにある。

モチーフで読む美術史 (ちくま文庫)

p.70より引用。 シャセリオーの描く女性には独特の神秘性があるが、彼の理想の女性は彼の二人の姉妹、アデルとカトリーヌであったという。

作品「画家の二人の姉妹の肖像」1843年

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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9b/Th%C3%A9odore_Chass%C3%A9riau_-_The_Artist%27s_Sisters_-_WGA4808.jpg

後に描かれる女性像の基本はこの二人の姉妹のイメージなのだろう。

そこにはまさしくシャセリオーならではの神秘的な女性像がたち現れている。その女性たちはみな端正な顔立ちをし、女性としての尊厳をはっきりと示している。それでいて冷たい表情にはならず、仄かに純潔な官能性すら漂わせている。(中略)

彼の描く女性にはあるタイプが認められる。顔は卵型をしており、目が子鹿の目のようにぱっちりとしている。鼻筋はすっと通って、唇はふっくらとしてはれぼったい。このように特徴を列挙すると、通俗な女性像を思い浮かべるかもしれないが、決して俗悪に陥っていないのはアングルから体得した古典的崇高さをどの女性も兼ね備えているからであろう。その顔には理知と官能が不思議と混じりあっている。 

ドラクロワとシャセリオーの版画」橋 秀文編著 (岩崎美術社刊) p.72より引用。

  

芸術新潮 2017年 05 月号

芸術新潮 2017年 05 月号

 

 

シャセリオー展 予習 4

TBS「シャセリオー展」|TBSテレビ

シャセリオーについての資料が少なく、難儀していたがようやく「ドラクロワとシャセリオーの版画」(橋 秀文編著 岩崎美術社)という本を見つけた。絶版なので図書館で探すしかない。

1839年にシャセリオーはサロンで成功する。その時出品されたのがこの「海から上がるヴィーナス」である。

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(画像はパブリックドメイン

アングルの「泉」と比較すると、シャセリオーがアングルを引き継いでいることが分かる。しかし髪を持ち上げるポーズや、太い二の腕、幅の広い腰など、すでにシャセリオー独自のスタイルが認められる。

The Spring - Google Arts & Culture

アングルが「泉」の制作を開始したのが1820年なので、(完成は56年)1830年にアングルのアトリエに入門したシャセリオーはアトリエで「泉」を見たかも知れない。

ヴェネツィア――美の都の一千年 (岩波新書)

4年後に師はローマへ行ってしまう。サロンで成功したシャセリオーは翌年イタリアに旅行し、アングルと再会するが、1840年、9月9日付の兄への手紙で師への不満を書いている。

彼(アングル)は無理に我を通して生きてきた、そして我々の時代の芸術に生じた思想や変革にひとつも理解を示そうとはしない。かれは最近の詩人たちのことを全く知らないのだ。彼にしてみれば、未来に向けて何も創造することもなく、過去のある時代の芸術を思い起こさせるものであるか、またはその複製であればことたりるのである。

p.71より引用。 

ロマン主義の激しい自己主張、創造性と革新、情熱という特徴が表れている。我々がロマン主義時代の芸術に惹かれるのはこのためであろう。

  

芸術新潮 2017年 05 月号

芸術新潮 2017年 05 月号

 

 

【国立西洋美術館】 「シャセリオー展-19世紀フランス・ロマン主義の異才」内覧会レポート | 上野エリアの観光、博物館、美術館、店舗に関する情報満載のアプリ:ココシル上野

バベルの塔展 予習 6

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展公式ガイドブック (AERAムック)

 4月18日(火)~ 7月2日(日) 【東京都美術館】 『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝 - ボスを超えて -』 開催 | 上野エリアの観光、博物館、美術館、店舗に関する情報満載のアプリ:ココシル上野

ヒエロムニス・ボス「七つの大罪と四終」

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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/03/Hieronymus_Bosch-_The_Seven_Deadly_Sins_and_the_Four_Last_Things.JPG

 この絵はちょっと変わっていて、(ボスの絵自体が変わっているが)元々テーブルの上に置いて鑑賞するものらしい。たぶん、ぐるぐる回して観るものなのだろう。なんで円なんだ?と言うのなら、人間の美徳と悪徳を運命の車輪と結び付けて描く図像が12世紀頃からあったのだそうだ。

最初この絵を見た時に、これは現代社会そのものだと思った。どうりでヨーロッパの展覧会に人々が殺到したわけだ。

上から時計回りに見てゆこう。一番上は「大食の罪」右端に「水飲み百姓」が居るのに目もくれず、太った金持ちは平気で食いまくっている。日本のテレビで、ただ人が贅沢なものを食べている番組を思い起こさせる。

一つ飛ばして右側の絵は「邪淫の罪」男女がテントの中で戯れている。現代では自由恋愛の名のもと、性の自由が当然のこととなっているが、現実にはそこから様々な問題、犯罪が生じている。恋愛の礼賛だけでなく、そのマイナス面も指摘されるのが当然である。

その隣は「虚栄の罪」若い女が身づくろいをしているが、鏡を差し出しているのは悪魔。高価なブランド品の衣服、アクセサリーを身に着けている芸能人やセレブがこれに当たるだろう。

二つ飛ばして、左上の絵は「貪欲」裁判官が賄賂を受け取っている。私には際限なく商品を求める日本の「お客様」が最も貪欲に見える。どんな良い製品にもケチをつけ、店には苦情を言い、決して満足することがない。

参考文献 「芸術新潮」2014年 9月号。

 

 「バベルの塔展」では単眼鏡を持った人が多いそうです。ブリューゲルやボスの絵は細かいから、これは必携かも。

バベルの塔展予習 5

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ヒエロニムス・ボス - Google Arts & Culture

さて、この世で淫楽に耽って只で済むわけではなく、死んだらそれでお終いと思っていた人間にはまだ先があった・・・右側の地獄である。

日本にも古来、地獄を描いた絵があるが、これほど凄まじいものは無いように思う。画面左下からやや上に楽器があるが、楽しい音楽を奏でるはずの楽器が拷問の道具にされている。弦楽器は古来、恋愛、性欲の象徴であった。

その右下にはロバ(愚者の象徴)に抱えられた女が生気の抜けたようになっており、悪魔の尻にある鏡に自分の姿を写している。胸元にカエルが張り付いているが、「穢れた霊」を表す。(黙示録第16章、第13節ー「私はカエルのように見える3つの穢れた霊を見た」)こういう女は現代では多くいると思うが、この地獄では恋愛という名目や化粧で誤魔化すことはできない。

とりわけ目を引くのが、足が枯れ木、胴体が卵の殻のようで、こちらに微笑む男である。この「枯れ木男」のデッサンがある。

The Tree-Man, c. 1505 - Google Arts & Culture

こういう絵を描く人間は頭がおかしいのではと思われそうだが、デタラメと片付けられないものがある。中世の時代からボスの絵は異端視されるどころか大人気で、何とも言えない魅力がある。

「悦楽の園」の絵だが、この男の足から少し血がでていて、それを縛ってあるのがリアルである。卵型の胴体の中では愚者が酒盛りをしている。地獄にはろくな酒もあるまいが、愚者はそこでも飲まずにはいられないらしい。

ボスの描く怪物はどこかユーモラスだが、地獄は本当にあるかも知れないと思うと空恐ろしくなる。

参考文献ー「芸術新潮」2014年、9月号。

ボスの作品を完全網羅したサイト。細部の拡大画像がある。

The complete works - Hieronymous Bosch - Page 1

 

 「バベルの塔展」では単眼鏡を持ってくる人が多いそうです。なんせブリューゲルは細かいですから・・・。

 

バベルの塔展 予習 4

ブリューゲルは生前、「新しいヒエロムニス・ボス」と呼ばれた。今回は「バベルの塔」が目玉だが、来日するボスの作品2点も大変価値あるものなのだ。

ブリューゲルの真筆も少ないが、ボスも同じで確認されているのは20数点しかない。数年前ヨーロッパで行われたヒエロムニス・ボス展は大盛況で、近年注目が集まっている。

そのあまりの価値と稀少性でボスの代表作が日本に来る可能性は低いと言われている。その中で彼の代表作をせめてデジタル画像で見てみよう。

作品「悦楽の園」

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The Garden of Earthly Delights - Google Arts & Culture

まるでシュールレアリスムを先取りしたかのようなスタイルで、これが中世に描かれたものだとは信じがたい。

画面中央が悦楽の園で、愚かな人間が悦楽にふける様子を描いている。描かれている赤い果実やラズベリームール貝は性的な暗喩だ。中央で馬にまたがりぐるぐる回っていたり、泉で沐浴する男女は性的遊戯にふけっていることを表す。

左側には逆さになって泉から足を出している奴がいるが、さては横溝正史、ここからパクったなと思ってしまう。もしくはシンクロナイズドスイミングはここから発想を得たのか?そんなわけはない。それにしても左側にいる鳥、デカすぎないか?

右側にはてっぺんにフクロウが止まっている、奇妙な被り物を被って踊っている奴らがいる。(フクロウは愚者の象徴)酒を飲んで酔態をさらす奴らに似ている。

この絵にはおびただしい動物が描かれているが、悦楽にふける人間は動物と同じか、それ以下ということだろうか?中には鳥から快楽の実を受け取っている奴らもいる。

参考文献「芸術新潮」2014年9月号 小池寿子氏の記事。

 小池寿子著 謎解き ヒエロニムス・ボス (とんぼの本)

 

絵画をより楽しく観る 2

 

ミュシャのすべて (角川新書)

ミュシャのすべて (角川新書)

 

 

しぐさで読む美術史 (ちくま文庫)では西洋と日本の習慣の違いも書かれていて興味深い。その中で「おんぶ」という章があるが、人をおぶうという習慣は西洋には無いという。

試しに和英辞典を引いてみると、「carry someone on one's back」と出てくる。つまりは人を、馬か、荷押し車の代わりになって運ぶという感じだろうか。あまり愛情は感じられない。

しこの本ではウィリアム・アドルフ・ブーグローの「おんぶ」という絵が例として挙げられている。

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(画像はパブリックドメインです)

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File:William-Adolphe Bouguereau (1825-1905) - Not Too Much To Carry (1895).jpg - Wikimedia Commons

 この本では「おんぶ」という題だが、「Not Too Much To Carry」(重くて運べないことはない)というのが原題のようだ。私はこの絵を見て興味を持ち、ウィキペディアの絵の一覧を見てブーグローが大好きになってしまった。裸婦は例えようもなく美しく、

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(画像はパブリックドメインです)

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ファイル:William-Adolphe Bouguereau (1825-1905) - Day (1881).jpg - Wikipedia

少女の絵は清純で愛らしい。表情にフランスのエスプリを感じる。素晴らしい画家である。

これだけの絵画が20世紀末まで忘れられていたとは驚きである。恐らく、分かりにくい絵が名画であるかのような風潮が長く続いたのだろう。ミュシャの「スラブ叙事詩」は日本で大人気だが、世界でも再評価されるかも知れない。

 日本で「ブーグロー展」が開催される日がくればと思う。

  

ミュシャのすべて (角川新書)

ミュシャのすべて (角川新書)

 

 

絵画をより楽しく観る

「聖なる手」というジェスチャーがあるというのは、

しぐさで読む美術史 (ちくま文庫)

を読むまで知らなかった。

(p.188) エル・グレコ「改悛のマグダラのマリア」を見てみると、

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(画像はパブリックドメインです)

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The Penitent Mary Magdalene - Google Arts & Culture

中指と薬指を開いた手を胸に当てている。ヨーロッパの女性は手の大きい人が多いが、この絵では特に大きく描かれているような気がする。非常に美しい手で、手だけのモデルがいたんじゃないかと思ってしまう。現代で言う「手タレ」だ。

マグダラのマリアというのは元々は娼婦と言われ、キリストに会って回心した女性である。果たして娼婦が聖人になれるのかと思うが、我々はなぜか罪深い人が悔い改める話に感動してしまう。オードリー・ヘップバーンの映画 ティファニーで朝食を [Blu-ray]を見て、最後のシーンで泣いてしまうのはそのせいだろう。

 

カラバッジョの「ロレートの聖母」

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(画像はパブリックドメインです)

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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ - Wikipedia

では、聖母がキリストを抱える手が「聖なる手」になっているという。今でも斬新な絵である。

 

しぐさで読む美術史 (ちくま文庫)

しぐさで読む美術史 (ちくま文庫)